2023.08.25
《【欧州】若き僕の破天荒道中記 》
実録!回顧録人との関わり方株式会社ガーディアン《【欧州】若き僕の破天荒道中記 》
(#僕のビジネス記 2023.08.25)
※2020.09.12の再投稿
社会人2年目(24歳)の僕は、
新人の初年度全社No.1成績を提げて、
ヨーロッパでの新規開拓営業を
会社上層部に懇願して、
日本の売上をキープすることと
月のうち半分は日本滞在を条件に
特別に許可を得て、
単身でヨーロッパと日本を
行き来するようになった‼️✈️
僕が所属した企業の欧州拠点は
ベルギー・ブリュッセル
僕が最初に狙ったのが
ドイツのシーメンス社
ブリュッセルからミュンヘンまで、
コンビを組んだ商社マンと一緒に
何度も何度も足を運んだものだ🚈🚗
僕が自らに課したミッションは、
ヨーロッパ現地企業の新規開拓だった👀
当時の僕らの欧州子会社は、
欧州に進出した日系企業としか
取引をしていなかった😓💦
この現状に異を唱え、
半ば強行で欧州営業の許可を取った💪
だから、
当然コネクションなし🙅♂️
ルートなし🙅♂️
先人なし🙅♂️
おまけにドイツ語、ベルギー語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語。。。
ヨーロッパの言語なんて、
まるでわかんないし😅💦
威勢よく大法螺を吹いたものの、
世界を代表する巨大企業シーメンスの
正門すら通過できないのだ😭💧
社会人経験も1年しかなく、
社内に協力者なし、
それどころか無謀だと馬鹿にされ、
新人に肩入れし過ぎと
日本の社内では
やっかみまで起きる状況💦
いきなり追い込まれた
当時の僕には
奇策しか思いつかなかった‼️
『夜明け朝駆け戦法』だ😁✌️
今思えば無謀極まりない😅💦
というかあまりに無策だった僕‼️
来る日も来る日も
夜明け朝駆けを繰り返した🌅⇄🌇
そんな中、
あまりにしつこい僕らに
シーメンスの守衛さんが、
差し入れをしてくれたところから、
光が差した✨
コネクションがなく、
ルートもなく、
実績がなかった僕らだが、
持っている技術力と生産力、
さらには
価格競争力にも自信があった✌️
そんなことで、
『蟻の一穴』と喜び勇んだ僕らは、
このチャンスをラッキーにも
モノにすることが出来た😁✌️
振り返るに、
❶人から気にされ、
❷認められ、
❸好かれ、
❹信用されたのだ❣️
これを基盤にして、
僕らは正攻法で攻めに攻めた💣💥
当時の僕には、
若さ溢れるバイタリティと
物怖じしない心があった。
そして、根拠なき自信😁✌️
日本という国のこと…
京都という僕の故郷のこと…
着物という日本文化のこと…
そして、
僕が所属する会社のこと、
これらを大いに語り尽くした👅
そして、
ヨーロッパ最大最高の企業が、
極東の島国からやってきた
たった一人の僕を認め、
取引を始めてくれたのだよ😆✨
細々とした条件など無かった‼️
あったのは
シーメンスの決裁権者(購買部長)の
僕を見つめる
温かく優しい笑顔だけだった❣️
僕を馬鹿にしていた会社の連中は、
『こんな無条件の契約などあり得ない』
と驚嘆を隠せなかった‼️💦
『ハートにはハートで返せ❣️』
を合言葉にして、
僕らは、与えられたチャンスを、
必死のパッチでやり切った‼️
そして、
シーメンスとの間に生まれたのは
まごう事なき『信頼』だった🤝✨
上手くいくときって
こんな偶然が重なるもんなんだよ‼️
やっぱり信念ある"行動"って
最大の武器になるのだよ‼️
24歳の夏のこの体験は、
今でも僕の根底に
今も流れ続けているのだよ😊✨
*写真は、当時走り回ったミュンヘンの街
代表取締役社長/コンサルタント/ビジネスプロデューサー
青山 裕一
社会人では、大手電子部品メーカーでアジア・ヨーロッパでのビジネスを経験し、大手保険会社時代は日本全国を駆け巡り、数々の賞を受賞する。
伝統工芸から先端テクノロジーまでのモノづくりとリスクマネジメントを知り尽くした上で、IT業界に入る。
今年でIT業界23年目を迎え、独自のマーケティング理論を駆使し、6,000を超えるWEBサイトを手掛けてきた経営者。
独自のWEB必勝法を伝授すべく日経BP社よりIT兵法本「5000サイト、200億広告運用のプロが教える 儲かるホームページ9つの兵法」を出版し、Amazonランキングで3部門1位を記録した。
また、マネジメント領域の会社経営においても、未経験、Non専門スキルの人材を積極的に採用し、特色豊かな人事制度を大胆に企画登用するなどして、人材育成において画期的な成果を上げ続けている。
講演や出版、寄稿の依頼が多数きているが、現状においては、全国の中小企業経営者様との面談を優先するため、すべてお断りする方針でいる。