教育機関は、次世代を担う人材を育成する重要な社会基盤です。そこで扱われる情報——学生・生徒の個人情報、成績、研究データなど——は、サイバー攻撃によって失われれば、教育活動そのものに深刻な影響を与えます。本章では、教育機関が直面するランサムウェアの脅威と、その対策について包括的に解説します。
教育機関が狙われる理由と被害の影響
教育機関へのランサムウェア攻撃は増加傾向にあります。なぜ学校や大学が攻撃対象となるのか、その背景を理解することが効果的な対策の出発点となります。
標的となる理由
教育機関がランサムウェア攻撃者にとって標的となりやすい理由は複数あります。
第一に、大量の個人情報を保有しています。学生・生徒の氏名、住所、連絡先に加え、保護者情報、健康情報、成績情報など、センシティブな情報が集中しています。
第二に、研究データの価値があります。特に大学や研究機関では、長年の研究成果、未発表論文、産学連携のデータなど、高い価値を持つ情報が存在します。
第三に、セキュリティ対策の遅れがあります。教育機関の予算は教育活動に優先的に配分されることが多く、IT・セキュリティへの投資が後回しになりがちです。専任のセキュリティ担当者を配置できる教育機関も限られています。
第四に、オープンなネットワーク環境があります。学術研究の性質上、外部との情報交換が活発であり、ネットワークが比較的オープンに設計されていることが多いです。
被害の影響
- 学生・生徒情報の漏洩
- 氏名、住所、成績など個人情報が漏洩すれば、プライバシー侵害となる。特に未成年の情報漏洩は、保護者からの信頼を大きく損なう。個人情報漏洩として深刻な問題となる
- 成績・内申書データの喪失
- 成績データが暗号化・喪失されれば、進路指導、入試、卒業判定に影響が生じる。特に入試時期に被害を受けた場合、受験生への影響は計り知れない
- 研究データの破壊
- 長年かけて蓄積された研究データが失われれば、研究者のキャリアに深刻な影響を与える。再取得が不可能なデータの場合、研究そのものが頓挫する可能性もある
- 授業・業務の停止
- 校務システムや学習管理システム(LMS)が停止すれば、授業運営、成績管理、連絡業務などに支障が生じる
学生・生徒情報の保護
教育機関が保有する学生・生徒情報は、個人情報保護法の保護対象であり、適切な管理が求められます。
保護すべき情報
- 個人情報(氏名、住所、連絡先)
- 学生・生徒本人の基本情報に加え、保護者の情報も保護対象となる
- 成績情報
- テストの点数、評定、内申書など。進路に直結する重要な情報であり、漏洩・改ざんの影響は大きい
- 出欠情報
- 出席状況、遅刻・早退の記録。長期欠席等の情報はプライバシーに関わる
- 健康情報
- 健康診断結果、アレルギー情報、障害に関する情報など。個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に該当し得る
- 家庭環境情報
- 家庭状況、経済状況、生活保護受給の有無など。特に機微性が高い情報
保護対策
- アクセス制御
- 学生・生徒情報へのアクセスは、業務上必要な教職員に限定する。担任は自クラスの情報のみ、教科担当は成績情報のみなど、役割に応じた権限設定を行う。不正アクセスの防止が重要
- 暗号化
- 学生・生徒情報を保存するデータベースやファイルを暗号化する。USBメモリ等への持ち出し時も暗号化を義務付ける
- バックアップ
- 学生・生徒情報を定期的にバックアップし、オフラインで保管する。特に成績確定時期(学期末、年度末)には確実にバックアップを取得する
- 教職員の教育
- フィッシング対策、情報の適切な取り扱いについて、教職員への研修を実施する。情報セキュリティ意識の向上を図る
研究データの保護(大学・研究機関向け)
大学や研究機関では、研究データの保護が特に重要です。長年の研究成果が失われれば、その影響は取り返しがつきません。
研究データの重要性
研究データは、長期間にわたる研究活動の成果であり、研究者の知的財産です。実験データ、観測データ、インタビュー記録など、一度失われれば再取得が困難または不可能なものも多くあります。
また、研究データには知的財産としての価値もあります。特許申請前の研究成果、産学連携のデータ、未発表論文などは、漏洩すれば競争力の喪失につながります。
さらに、共同研究先との契約上、データの適切な管理が義務付けられている場合もあります。データ漏洩や喪失は、共同研究先との信頼関係にも影響します。
保護対策
- 3-2-1バックアップルール
- 重要な研究データは、3つのコピーを、2種類の媒体に、1つは別の場所に保管する。これにより、ランサムウェアによる同時暗号化のリスクを軽減する。詳細はバックアップ戦略を参照
- 研究室ネットワークの分離
- 研究データを扱うネットワークを、一般の事務ネットワークやインターネット接続系から分離する。特に機密性の高いデータを扱う研究室では、物理的な分離も検討する
- クラウドストレージの活用
- 大学が提供するクラウドストレージサービスを活用し、研究データを安全に保管する。自動バックアップ機能を持つサービスが望ましい
- 共同研究先との情報共有ルール
- 共同研究先とのデータ共有方法、セキュリティ要件を事前に取り決める。安全なファイル共有手段を使用し、平文メールでの機密データ送信を避ける
文科省ガイドラインへの対応
文部科学省は、教育機関の情報セキュリティ対策の指針として「教育情報セキュリティポリシーに関するガイドライン」を策定しています。
教育情報セキュリティポリシーに関するガイドライン
本ガイドラインは、主に地方公共団体が設置する学校(公立小中高校等)を対象としていますが、私立学校や大学においても参考となる内容です。
ガイドラインでは、組織体制の整備、情報資産の分類、技術的対策、物理的対策、人的対策など、情報セキュリティ対策の基本的な枠組みを示しています。また、クラウドサービスの利用、GIGAスクール端末の管理など、昨今の環境変化に対応した内容も含まれています。
対応すべき主要項目
| カテゴリ | 主要項目 | 対応のポイント |
|---|---|---|
| 組織・体制 | 情報セキュリティ管理体制 | 最高情報セキュリティ責任者(CISO)の設置、責任範囲の明確化 |
| 組織・体制 | セキュリティポリシーの策定 | 学校の実情に応じたポリシーの策定と周知 |
| 技術的対策 | ネットワーク分離 | 校務系ネットワークと学習系ネットワークの分離 |
| 技術的対策 | 認証・アクセス制御 | 多要素認証の導入、権限管理の徹底 |
| 技術的対策 | マルウェア対策 | ウイルス対策ソフトの導入と更新、EDRの検討 |
| 技術的対策 | バックアップ | 定期的なバックアップ、オフライン保管、復旧テスト |
| 物理的対策 | 機器・媒体の管理 | サーバ室の入退室管理、USBメモリ等の管理 |
| 人的対策 | 教職員研修 | 情報セキュリティ研修の実施、意識向上 |
GIGAスクール端末のセキュリティ
GIGAスクール構想により、全国の小中学校で1人1台端末が整備されました。これらの端末を安全に運用するためのセキュリティ対策が必要です。
1人1台端末のリスク
GIGAスクール端末の普及に伴い、新たなセキュリティリスクが生じています。
- 端末の持ち帰り
- 家庭への持ち帰りにより、学校のセキュリティ管理が及ばない環境で端末が使用される。家庭のネットワーク環境のセキュリティレベルは様々
- 家庭ネットワークへの接続
- セキュリティ対策が不十分な家庭のWi-Fiに接続することで、マルウェア感染のリスクが高まる可能性がある
- 児童生徒による操作
- ITリテラシーが発展途上の児童生徒が端末を操作するため、不審なサイトへのアクセスや、不正なアプリのインストールなどのリスクがある
セキュリティ対策
- MDM(モバイルデバイス管理)の活用
- MDMを導入し、端末の一元管理を行う。アプリのインストール制限、設定の強制、リモートワイプ(遠隔消去)などの機能を活用する
- フィルタリング
- 有害サイトへのアクセスをブロックするWebフィルタリングを導入する。学習に不要なサイトへのアクセスも制限することで、リスクを軽減する
- 端末の暗号化
- 端末の紛失・盗難に備え、ストレージを暗号化する。パスワードや生体認証によるロックも必須
- 定期的なアップデート
- OSやアプリを常に最新の状態に保つ。MDMを通じて一括でアップデートを適用できる仕組みが望ましい
教職員・児童生徒への教育
技術的対策だけでなく、教職員や児童生徒への教育も重要です。
- セキュリティ意識の醸成
- 情報セキュリティの重要性、個人情報の取り扱いについて、発達段階に応じた教育を行う。「情報モラル教育」の一環として実施
- 不審なメール・サイトの見分け方
- フィッシングメールや偽サイトの見分け方を教育する。「怪しいと思ったらクリックしない」という基本を徹底
- インシデント報告の仕組み
- 何か問題が起きた場合に、すぐに教職員に報告できる仕組みを整備する。報告を躊躇させない雰囲気づくりも重要
被害事例と教訓
教育機関のランサムウェア被害事例から、重要な教訓を学ぶことができます。
教育機関の被害事例
- 大学の被害事例
- 複数の大学でランサムウェア被害が報告されている。VPN機器の脆弱性を経由して侵入され、事務システムや研究データが暗号化される事例がある。学期末や入試時期に被害を受けた場合、業務への影響は特に深刻
- 小中高校の被害事例
- 教育委員会や学校のシステムがランサムウェア被害を受けた事例がある。成績データ、校務データが暗号化され、業務に支障が生じた
- 教育委員会の被害事例
- 複数の学校を管理する教育委員会のシステムが被害を受け、管内の学校全体に影響が及んだ事例がある
共通する教訓
| 教訓 | 詳細 | 対策の方向性 |
|---|---|---|
| VPN機器の脆弱性 | パッチ未適用のVPN機器が侵入口に | 脆弱性情報の監視、迅速なパッチ適用 |
| パッチ管理の重要性 | 脆弱性が放置されがち | 計画的なパッチ適用プロセスの整備 |
| バックアップの重要性 | オフラインバックアップがなければ復旧困難 | 3-2-1ルールの徹底、定期的な復旧テスト |
| ソーシャルエンジニアリング対策 | フィッシングメールへの対応不備 | 教職員への継続的な研修 |
| 予算・人員の制約 | セキュリティ投資が後回しに | 優先度を付けた対策の実施、外部サービス活用 |
限られた予算での対策
教育機関は予算・人員に制約があることが多いですが、その中でも効果的な対策を実施することは可能です。
優先対策
| 優先度 | 対策項目 | コスト目安 | 効果 |
|---|---|---|---|
| 高 | VPN機器のパッチ適用 | 無料〜数万円 | 主要な侵入経路の遮断 |
| 高 | バックアップのオフライン化 | 数万円〜 | 被害時の復旧手段確保 |
| 高 | OS・ソフトウェアの更新 | 無料 | 既知の脆弱性からの保護 |
| 中 | 教職員向けセキュリティ研修 | 無料〜数万円 | フィッシング対策、意識向上 |
| 中 | ネットワーク分離 | 数万円〜数十万円 | 被害範囲の限定 |
| 中 | インシデント対応計画の策定 | 無料(人件費) | 被害時の迅速な対応 |
外部サービスの活用
- 教育機関向けセキュリティサービス
- 教育機関向けに特化したセキュリティサービスを活用する。教育機関向けの料金体系が設定されている場合もある
- クラウドバックアップ
- クラウドベースのバックアップサービスを活用し、データを安全に保管する。オフサイトバックアップとして機能する
- 自治体との連携
- 公立学校の場合、自治体のIT部門やセキュリティ担当と連携する。自治体全体でのセキュリティ対策に参加することで、効率的に対策を実施できる
よくある質問(FAQ)
- Q: 学校にIT担当者がいない場合どうすればよいですか?
- A: 多くの学校ではIT専任者を配置することが難しいのが実情です。その場合、教育委員会のIT担当や自治体のシステム管理部門と連携することが有効です。また、外部のIT支援サービスを活用することも検討してください。日常的な対策(OSの更新、不審メールの報告など)は、教職員全体で分担することも可能です。重要なのは、インシデント発生時の連絡先(教育委員会、システムベンダー、警察等)を明確にしておくことです。
- Q: GIGAスクール端末からランサムウェアに感染する可能性は?
- A: 可能性はあります。特に、家庭に持ち帰った際に、セキュリティが不十分なネットワークに接続したり、不審なサイトにアクセスしたりした場合にリスクが高まります。対策としては、MDMによる端末管理、Webフィルタリングの導入、児童生徒への教育が有効です。また、端末が感染した場合でも、校務系ネットワークに影響が及ばないよう、ネットワークを分離しておくことが重要です。
- Q: 研究データが暗号化された場合、研究は続けられますか?
- A: バックアップがなければ、研究の継続が極めて困難になります。特に、実験データや観測データなど、再取得が不可能なデータの場合、研究そのものが頓挫する可能性があります。研究データは、3-2-1ルール(3つのコピー、2種類の媒体、1つは別の場所)に基づいてバックアップすることを強くお勧めします。クラウドストレージの活用も有効です。
- Q: 学生情報が漏洩した場合の報告義務は?
- A: 個人情報保護法に基づき、一定の要件を満たす場合には個人情報保護委員会への報告と本人への通知が義務付けられています。また、公立学校の場合は、自治体の個人情報保護条例に基づく報告義務もあります。私立学校や大学の場合も、主務官庁(文部科学省等)への報告が求められる場合があります。漏洩が発覚した場合は、速やかに報告義務の有無を確認し、必要な対応を取ってください。詳細は法的責任と報告義務を参照してください。
- Q: 教育委員会と学校の役割分担はどうあるべきですか?
- A: 一般的には、教育委員会がセキュリティポリシーの策定、システム基盤の整備、専門的な対応を担い、各学校は日常的な運用、教職員・児童生徒への教育、インシデントの初期対応を担う形が考えられます。重要なのは、役割分担を明確にし、インシデント発生時の連携手順を事前に決めておくことです。定期的な情報共有や訓練を通じて、連携体制を強化することが望ましいです。
まとめ
教育機関へのランサムウェア攻撃は、学生・生徒の個人情報、成績データ、研究成果など、かけがえのない情報を脅かします。これらの情報が失われれば、教育活動そのものに深刻な影響が生じます。
対策の第一歩は、自校の情報資産を把握することです。どのような情報を保有しているか、どこに保存されているか、バックアップは取られているか——これらの基本的な確認から始めてください。
文科省ガイドラインは、教育機関がセキュリティ対策を進めるための重要な指針を示しています。予算・人員に制約がある中でも、VPN機器のパッチ適用、バックアップのオフライン化、教職員への研修など、優先度の高い対策から着手することが重要です。
GIGAスクール端末の普及により、新たなリスクも生まれています。MDMの活用、フィルタリングの導入、児童生徒への教育を組み合わせて、端末を安全に運用する体制を整えてください。
ランサムウェアの基礎知識に立ち返りながら、予防対策を計画的に進めていくことが重要です。
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