M&Aとサプライチェーン攻撃リスク
M&A(合併・買収)において、サプライチェーン攻撃リスクは見落とされがちな領域です。財務DDや法務DDは当然行われますが、セキュリティの観点でのデューデリジェンスが十分に行われないケースも少なくありません。
- 買収によるリスク継承の問題
- 買収対象企業を取得すると、その企業が抱えるリスクもすべて継承することになります。セキュリティ体制の不備、脆弱なシステム、過去のインシデント——これらは買収後に顕在化し、想定外の損失をもたらす可能性があります。
- セキュリティDDの重要性
- 財務DDで発見された負債は価格交渉に反映されますが、セキュリティリスクも同様に扱うべきです。買収前にセキュリティ状況を評価し、リスクを可視化することで、適切な買収判断と価格交渉が可能になります。
- 実際の失敗事例
- 海外では、買収完了後に大規模な情報漏洩が発覚し、買収価格を大きく上回る損害賠償や制裁金を支払うことになった事例があります。具体的な企業名は避けますが、買収後に数億人分の個人情報漏洩が発覚し、数百億円規模の制裁金を科された事例も報告されています。セキュリティDDを怠ることの代償は、非常に大きくなり得ます。
デューデリジェンスでの確認ポイント
セキュリティ観点でのデューデリジェンス(DD)で確認すべきポイントを解説します。
セキュリティ体制の評価
- CISO体制、セキュリティポリシー
- 買収対象企業にCISO(または同等の責任者)がいるか、セキュリティポリシーは策定されているかを確認します。体制が整っていない場合、買収後に構築する必要があり、追加のコストと時間がかかります。
- セキュリティ投資状況
- 過去数年間のセキュリティ投資額、IT投資に占める割合を確認します。投資が極端に少ない場合、対策が不十分である可能性が高いです。
- 認証取得状況(ISMS、Pマーク等)
- ISO27001(ISMS)、プライバシーマーク、SOC2などの認証を取得しているかを確認します。認証は一定のセキュリティレベルを担保する指標となります。ただし、認証があっても安全とは限らないため、詳細な確認は必要です。
過去のインシデント履歴
- 過去のセキュリティインシデント
- 過去数年間に発生したセキュリティインシデントの履歴を確認します。インシデントの内容、影響範囲、対応状況を把握します。
- 対応状況、再発防止策
- インシデントが発生した場合、どのように対応し、再発防止策を講じたかを確認します。適切な対応がなされていない場合、同様のインシデントが再発するリスクがあります。
- 未公表のインシデントの有無
- 公表されていないインシデントが存在する可能性もあります。内部監査報告書、セキュリティ評価レポートなどを確認し、隠れたリスクを発見するよう努めます。
技術的な脆弱性
- 脆弱性診断結果
- 直近の脆弱性診断(ペネトレーションテスト、脆弱性スキャン)の結果を確認します。重大な脆弱性が残っていないか、発見された脆弱性への対応状況を確認します。
- パッチ適用状況
- OSやアプリケーションのセキュリティパッチが適切に適用されているかを確認します。パッチ適用が遅れている場合、既知の脆弱性を悪用されるリスクがあります。
- レガシーシステムのリスク
- サポートが終了した(EoL/EoS)システムが残っていないかを確認します。レガシーシステムは、セキュリティアップデートが提供されず、脆弱性が放置されるリスクがあります。
チェックリスト
| 確認カテゴリ | 確認項目 | 確認方法 | リスク評価 |
|---|---|---|---|
| 体制 | CISO・責任者の有無 | 組織図、役職確認 | 不在の場合:高リスク |
| 体制 | セキュリティポリシー | 文書確認 | 未策定:高リスク |
| 体制 | 認証取得状況 | 認証書確認 | 未取得:要確認 |
| 履歴 | 過去のインシデント | 報告書、ヒアリング | 重大インシデントあり:高リスク |
| 技術 | 脆弱性診断結果 | 診断レポート | 重大脆弱性未対応:高リスク |
| 技術 | パッチ適用状況 | システム確認 | 適用遅延:中リスク |
| 技術 | レガシーシステム | システム一覧 | EoL/EoSあり:高リスク |
買収対象のサプライチェーン評価
買収対象企業自身のセキュリティだけでなく、その取引先(サプライチェーン)のリスクも評価することが重要です。
- 取引先のセキュリティ状況
- 買収対象企業の主要取引先のセキュリティ状況を確認します。取引先のセキュリティが脆弱な場合、そこを経由した攻撃を受けるリスクがあります。
- 重要サプライヤーへの依存度
- 特定のサプライヤーへの依存度が高い場合、そのサプライヤーに問題が発生した際のリスクが大きくなります。サプライヤーの分散状況を確認します。
- サプライチェーン全体のリスク
- 買収対象企業のサプライチェーン全体のリスクを評価します。どのようなサプライチェーン攻撃リスクが存在するか、どのような対策が取られているかを確認します。
サプライチェーンリスク管理(TPRM)の詳細は、サプライチェーン攻撃対策のTPRM体制構築|サードパーティリスク管理の実践で解説しています。
買収後の子会社統合(PMI)
買収完了後のPMI(Post Merger Integration:買収後統合)フェーズでは、セキュリティ面での統合も重要な課題となります。
セキュリティポリシーの統合
- 親会社と子会社のポリシー統合
- 親会社のセキュリティポリシーを子会社にも適用し、グループ全体で一貫したセキュリティ基準を確保します。ただし、一律に適用するのではなく、子会社の事業特性に応じた調整も必要です。
- ガバナンス体制の統合
- 親会社のセキュリティガバナンス体制に子会社を組み込みます。報告ライン、監督体制、監査の仕組みなどを統合します。
システム・ネットワークの統合
- ITシステムの統合時のリスク
- 親会社と子会社のITシステムを統合する際、セキュリティリスクが発生します。統合中は、両社のシステムが接続された状態になり、脆弱性が拡大する可能性があります。
- ネットワーク接続時のセキュリティ
- 親会社と子会社のネットワークを接続する際は、十分なセキュリティ対策を講じてから行います。子会社のネットワークにマルウェアが潜んでいた場合、接続により親会社に拡散するリスクがあります。
- 統合中の脆弱性
- PMI期間中は、システム変更が多く、設定ミスや脆弱性が発生しやすい時期です。統合作業と並行して、セキュリティ監視を強化することが重要です。
統合計画の優先順位
- Day 1の対応
- 買収完了日(Day 1)までに、最低限のセキュリティ対策を完了させます。ネットワーク接続のセキュリティ、緊急連絡体制の統合、重大脆弱性への対応などを優先します。
- Day 100の対応
- 買収後100日程度で、主要なセキュリティ対策の統合を完了させます。ポリシーの適用、主要システムのセキュリティ評価、監視体制の構築などを行います。
| フェーズ | 期間 | 優先対応事項 |
|---|---|---|
| Day 1まで | 買収完了日 | 緊急連絡体制、ネットワーク接続セキュリティ |
| Day 30 | 1か月後 | 重大脆弱性対応、アクセス管理統合 |
| Day 100 | 約3か月後 | ポリシー適用、監視体制構築 |
| 1年後 | 12か月後 | 完全統合、定常運用への移行 |
リスクの価格反映・表明保証
DDで発見されたセキュリティリスクを、買収契約に適切に反映させることが重要です。
- セキュリティリスクの価格交渉への反映
- DDで重大なセキュリティリスクが発見された場合、買収価格の引き下げ交渉の材料となります。対策に必要なコストを見積もり、価格に反映させます。
- 表明保証条項
- 売り手に対して、セキュリティに関する事項を表明保証させることができます。例えば、「重大なセキュリティインシデントは発生していない」「既知の重大な脆弱性は対応済みである」などです。表明保証違反があった場合、損害賠償を請求できます。
- 補償条項
- 買収後に発覚したセキュリティ問題について、売り手に補償を求める条項を設けることができます。補償の範囲、期間、上限額などを契約で定めます。
- エスクロー
- 買収代金の一部をエスクロー(第三者預託)口座に預け、一定期間保留することで、買収後に問題が発覚した場合の補償原資を確保する方法もあります。
M&A後のモニタリング
買収後も、継続的なセキュリティのモニタリングが重要です。
- 統合後のモニタリング体制
- 買収完了後、子会社のセキュリティ状況を継続的にモニタリングする体制を構築します。定期的なセキュリティ評価、インシデント報告体制、監査の実施などを行います。
- 定期的なセキュリティ評価
- 年次または半期で、子会社のセキュリティ評価を実施します。DDで発見された問題の対応状況、新たなリスクの発生などを確認します。
- グループ全体でのガバナンス
- 子会社を含めたグループ全体のセキュリティガバナンスを構築します。グループセキュリティポリシー、統一されたKPI、グループCISOによる監督などを整備します。
グループ会社・子会社のリスク管理
M&Aに限らず、既存のグループ会社・子会社のセキュリティ管理も重要です。
- 子会社・関連会社のセキュリティガバナンス
- 子会社・関連会社に対して、親会社のセキュリティ方針を適用し、適切なガバナンスを及ぼすことが重要です。形式的な適用ではなく、実効性のある監督を行います。
- 海外子会社のリスク
- 海外子会社は、本社からの目が届きにくく、現地の事情に左右されやすいため、セキュリティリスクが高まる傾向があります。定期的な監査、現地責任者との連携、グローバルセキュリティ方針の適用などが必要です。
グループ会社を含めたサプライチェーン全体のセキュリティを確保することは、親会社の経営責任です。子会社のインシデントは、グループ全体のレピュテーションに影響します。
— 出典:経済産業省「サイバーセキュリティ経営ガイドライン Ver 3.0」
よくある質問
- Q: セキュリティDDにはどのくらいの期間・費用がかかりますか?
- A: 買収対象企業の規模や複雑さによって大きく異なりますが、一般的には2週間〜1か月程度、費用は数百万円〜数千万円程度です。簡易な評価であれば、より短期間・低コストで行えます。セキュリティDDを専門とするコンサルティング会社に依頼することが一般的です。財務DDや法務DDと並行して実施することで、効率化できる場合もあります。
- Q: DD中に重大な脆弱性が見つかった場合はどうすべきですか?
- A: 発見されたリスクの重大さに応じて対応を検討します。選択肢としては、①買収価格の引き下げ交渉、②対策完了を買収条件とする、③表明保証・補償条項で担保する、④買収を見送る、などがあります。リスクの大きさ、対策に必要なコスト、買収のシナジー効果などを総合的に勘案して判断します。
- Q: 買収後にインシデントが発覚した場合の責任は?
- A: 契約内容によります。表明保証条項に違反していれば、売り手に損害賠償を請求できる可能性があります。補償条項が設けられていれば、その範囲で補償を受けられます。ただし、DDで発見できたはずのリスクについては、買い手の責任とされる場合もあります。買収後のリスクを最小化するため、DDを十分に行い、契約で適切に手当てすることが重要です。
- Q: 小規模なM&AでもセキュリティDDは必要ですか?
- A: 規模に応じた形でのセキュリティ評価は必要です。小規模な買収でも、買収対象企業が重要なデータを持っていたり、自社システムと接続する場合は、セキュリティリスクを評価すべきです。簡易なチェックリストによる評価、主要なリスクの確認など、規模に見合った方法で実施します。セキュリティDDを完全に省略することはお勧めしません。
- Q: PMIで最も注意すべきセキュリティリスクは何ですか?
- A: ネットワーク接続時のリスクが最も注意が必要です。子会社のネットワークに潜んでいたマルウェアが、接続により親会社に拡散するケースがあります。接続前に子会社のセキュリティ評価を十分に行い、必要な対策を講じてから接続することが重要です。また、統合中は変更作業が多く、設定ミスが発生しやすい時期でもあるため、監視を強化することが望ましいです。
まとめ
M&Aにおけるサプライチェーン攻撃リスクについて、ポイントを整理します。
- M&Aでは、買収対象企業のセキュリティリスクも継承することを認識する
- セキュリティDDを実施し、リスクを事前に可視化する
- 買収対象企業自身だけでなく、サプライチェーン(取引先)のリスクも評価する
- PMIでは、ネットワーク接続時のリスクに特に注意する
- 発見されたリスクは、価格交渉、表明保証、補償条項で適切に反映させる
- 買収後も継続的なモニタリングとグループガバナンスを構築する
- 既存の子会社・関連会社についても、同様のセキュリティ管理が必要である
経営者向けの他のトピックは、サプライチェーン攻撃と経営|リスク・ガバナンス・投資判断からご覧いただけます。サプライチェーン攻撃の全体像は、サプライチェーン攻撃とは|仕組み・事例・対策を初心者にもわかりやすく解説で解説しています。
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重要なお知らせ
- 本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の状況に対する助言ではありません。
- 実際にサイバー攻撃の被害に遭われた場合は、警察(#9110)やIPA(03-5978-7509)などの公的機関にご相談ください。
- 法的な対応が必要な場合は、弁護士などの専門家にご相談ください。
- 記載内容は作成時点の情報であり、攻撃手法は日々進化している可能性があります。
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