サプライチェーン攻撃は経営課題
サプライチェーン攻撃が経営者の関心事となるべき理由は明確です。この攻撃は単なるIT障害ではなく、事業継続そのものを脅かし、企業価値を大きく毀損する可能性を持っているからです。
IPA(独立行政法人情報処理推進機構)が毎年発表する「情報セキュリティ10大脅威」において、「サプライチェーンの弱点を悪用した攻撃」は2023年、2024年、2025年と3年連続で組織向け脅威の第2位にランクインしています。これは、多くのセキュリティ専門家がこの脅威を最重要リスクの一つとして認識していることを示しています。
- IT部門任せにできない理由
- サプライチェーン攻撃への対策は、技術的な対応だけでは完結しません。取引先の選定・評価は調達部門、契約条件の整備は法務部門、リスク評価は経営企画部門と、複数の部門が関わる全社的な課題です。IT部門だけに任せていては、本質的な対策は進みません。
- 経営者の責任(善管注意義務)
- 会社法上、取締役は会社に対して善管注意義務を負っています。サイバーセキュリティ対策を怠り、会社に重大な損害を与えた場合、取締役が責任を問われる可能性があります。適切な体制整備と投資判断を行っていたかが問われるため、経営者自らがリスクを把握し、判断することが求められます。
- 株主への説明責任
- サプライチェーン攻撃によるインシデントが発生した場合、株主や投資家への説明が求められます。「経営陣はリスクを認識していたか」「適切な対策を講じていたか」といった点が問われるため、平時からの備えが重要です。
経営者がサイバーセキュリティにコミットすることの重要性は、経済産業省の「サイバーセキュリティ経営ガイドライン」でも強調されています。同ガイドラインでは、サイバーセキュリティを経営課題として認識し、経営者がリーダーシップを発揮することを求めています。
事業への影響
サプライチェーン攻撃が発生すると、企業の事業活動に多方面で深刻な影響が生じます。技術的な復旧だけでなく、事業継続全体を視野に入れた対応が必要です。
操業停止・生産停止
サプライチェーン攻撃の最も直接的な影響は、操業や生産の停止です。システムが使用できなくなることで、製造業では工場が停止し、サービス業ではサービス提供が不可能になります。
2022年3月に発生したトヨタ自動車の事例は、その深刻さを端的に示しています。部品メーカーの小島プレス工業がランサムウェアに感染したことで、部品供給が停止し、トヨタは国内14工場28ラインすべてを1日停止せざるを得ませんでした。この影響で約1万3千台の生産に支障が出たとされています。
サプライチェーン攻撃は、自社のセキュリティが万全でも、取引先を通じて被害を受ける可能性がある点で、従来の攻撃とは異なるリスク管理が必要です。
— 出典:経済産業省「サイバーセキュリティ経営ガイドライン Ver 3.0」
医療機関への攻撃も深刻な影響をもたらします。2022年に発生した大阪急性期・総合医療センターの事例では、給食委託業者のシステムを経由してランサムウェアに感染し、電子カルテシステムが約2か月間使用不能となりました。新規の外来患者の受け入れ停止や手術の延期など、医療サービスに大きな影響が出ました。
国内外の具体的な事例については、サプライチェーン攻撃の国内事例|トヨタ・病院・名古屋港を詳細解説で詳しく解説しています。
納品遅延・契約不履行
操業停止は、顧客への納品遅延や契約不履行につながります。BtoBビジネスでは、納品遅延は自社だけの問題ではなく、顧客の事業にも影響を与えます。
- 違約金・損害賠償のリスク
- 契約条件によっては、納品遅延に対して違約金が発生する場合があります。また、納品遅延によって顧客に損害が生じた場合、損害賠償を請求される可能性もあります。特に製造業では、ジャストインタイム生産方式の普及により、1社の遅延がサプライチェーン全体に波及するリスクがあります。
- SLA違反のリスク
- SaaS事業者やクラウドサービス事業者の場合、サービスレベルアグリーメント(SLA)で定められた可用性を維持できなければ、返金や補償が必要になることがあります。長期間のサービス停止は、顧客離れにもつながります。
取引停止・契約解除
サプライチェーン攻撃の被害に遭った企業は、取引先から契約解除や取引停止を通告されるリスクがあります。特に、サプライヤーとして認定を受けている場合、その認定が取り消される可能性があります。
| 業界 | 想定される影響 | 具体例 |
|---|---|---|
| 自動車 | Tier1認定の見直し | 完成車メーカーからの取引縮小 |
| 金融 | 業務委託契約の解除 | 銀行からの外部委託停止 |
| 官公庁 | 入札資格の停止 | 政府調達からの除外 |
| 小売 | プライベートブランド委託の停止 | 大手小売からの発注停止 |
一度失った信頼を回復するには、長い時間と多大なコストがかかります。取引先との関係維持のためにも、予防的な対策が重要です。
財務的損失
サプライチェーン攻撃による財務的損失は、直接的なコストだけでなく、間接的な損失も含めると非常に大きな金額になります。
直接損失
直接損失とは、インシデント対応に直接かかる費用です。
- システム復旧費用
- 感染したシステムの復旧、再構築にかかる費用です。ランサムウェアに感染した場合、バックアップからの復旧や、場合によってはシステムの完全な再構築が必要になります。規模によっては数千万円から数億円のコストがかかることもあります。
- フォレンジック調査費用
- 攻撃の原因、侵入経路、被害範囲を特定するためのフォレンジック調査費用です。専門のセキュリティ会社に依頼する必要があり、調査の規模によって数百万円から数千万円の費用がかかります。
- 外部専門家への費用
- セキュリティコンサルタント、弁護士、危機管理広報など、外部専門家への依頼費用です。特に、個人情報漏洩が発生した場合は、法的対応のための弁護士費用が大きくなります。
- 身代金(支払った場合)
- ランサムウェア攻撃では、身代金の支払いを要求されます。支払うかどうかは慎重な判断が必要ですが、支払った場合はその金額も直接損失となります。なお、身代金を支払っても、データが完全に復旧する保証はありません。
間接損失
間接損失は、直接費用以外にかかるさまざまな損失です。
- 売上損失・機会損失
- 事業停止期間中の売上損失、および将来の案件を逃したことによる機会損失です。製造業では1日の操業停止で数億円から数百億円の損失が生じることもあります。
- 残業代・代替手段のコスト
- 復旧作業のための残業代、手作業での代替処理にかかる人件費、代替システムの導入費用などです。長期化すれば、これらのコストは膨大になります。
- 顧客対応・広報対応のコスト
- 問い合わせ対応のためのコールセンター設置、顧客への通知郵送、記者会見の開催など、ステークホルダー対応にかかる費用です。
長期的な財務影響
インシデントの影響は、短期的な損失にとどまらず、長期的な財務影響をもたらすこともあります。
| 影響の種類 | 内容 | 影響期間 |
|---|---|---|
| 株価への影響 | インシデント公表後の株価下落 | 数日〜数か月 |
| 保険料の上昇 | サイバー保険料の増額 | 数年間 |
| 信用格付け | 格付け機関による評価見直し | 数年間 |
| 採用への影響 | 優秀な人材の獲得困難 | 数年間 |
特に株価への影響は、上場企業にとって大きな問題です。海外の調査では、サイバーインシデント公表後に株価が平均で数%下落し、回復に数か月を要するケースが報告されています。
被害額の実態
サプライチェーン攻撃を含むサイバー攻撃の被害額は、年々増加傾向にあります。国内外の調査データから、被害の実態を見ていきます。
| 事例 | 業種 | 被害内容 | 推定被害額 |
|---|---|---|---|
| トヨタ・小島プレス事件(2022年) | 製造業 | 1日の操業停止 | 数百億円規模 |
| 大阪急性期・総合医療センター(2022年) | 医療 | 約2か月のシステム停止 | 十数億円以上 |
| 名古屋港コンテナターミナル(2023年) | 物流 | 約3日の業務停止 | 数十億円規模 |
| SolarWinds事件(2020年・海外) | IT | 約1.8万社に影響 | 推定1兆円以上 |
警察庁の統計によると、ランサムウェア被害の報告件数は2023年に197件と高止まりしています。被害を受けた企業のうち、復旧に1か月以上を要した企業が約3割、復旧費用が1億円以上かかった企業も存在します。
サイバー攻撃による企業の平均被害コストは年々増加しており、事前対策のコストと比較しても、予防投資の重要性が高まっています。
— 出典:IPA「情報セキュリティ10大脅威 2025」
業種別では、製造業と医療機関での被害が目立ちます。製造業はサプライチェーンの複雑さから、医療機関はシステム停止が人命に関わるため狙われやすい傾向があります。
最新の動向と統計については、サプライチェーン攻撃の最新動向と統計|2025年版トレンド分析で詳しく解説しています。
レピュテーションリスク
財務的な損失と並んで深刻なのが、レピュテーション(評判)リスクです。信用の失墜は、数字に表れにくいものの、長期的な企業価値に大きな影響を与えます。
- 顧客離れ
- 特にBtoCビジネスでは、個人情報漏洩などのインシデントが発生すると顧客離れが起こります。「あの会社は情報管理ができていない」というイメージは、一度定着すると払拭が困難です。
- ブランド価値の低下
- 長年かけて築いたブランド価値が、一度のインシデントで大きく毀損されることがあります。特に、「安全・安心」をブランドの核としている企業にとって、セキュリティインシデントは致命的です。
- 採用への影響
- 優秀な人材は、セキュリティインシデントを起こした企業への入社を躊躇する傾向があります。特にIT人材の採用において、企業イメージは重要な要素です。
- 株価への影響
- 上場企業の場合、インシデント公表後に株価が下落することがあります。投資家の信頼を失うと、資金調達コストの上昇にもつながります。
レピュテーションの回復には、技術的な復旧よりもはるかに長い時間がかかります。適切な危機管理・広報対応を行うことで、ダメージを最小限に抑えることが重要です。危機管理の詳細は、サプライチェーン攻撃の危機管理|広報・公表判断・ステークホルダー対応で解説しています。
リスクの定量化
経営者がサプライチェーン攻撃のリスクを適切に判断するためには、リスクを定量的に把握することが重要です。数字に落とし込むことで、投資判断の根拠が明確になります。
- 想定最大損失額(PML)の算出
- 最悪のシナリオが発生した場合の損失額を算出します。事業停止による売上損失、復旧費用、損害賠償、レピュテーション損失などを合計し、「最悪の場合、いくらの損失が生じるか」を把握します。
- 発生確率の推定
- 業界の被害統計、自社のセキュリティ成熟度、取引先の状況などを勘案し、リスクの発生確率を推定します。完全に正確な予測は困難ですが、オーダー感(1%なのか10%なのか)を把握することが重要です。
- 年間損失期待値(ALE)の算出
- 想定最大損失額×発生確率で、年間の損失期待値を算出します。この数字が、セキュリティ投資の上限の目安となります。
| リスクシナリオ | 想定損失額 | 発生確率 | 年間損失期待値 |
|---|---|---|---|
| 軽微なインシデント | 1,000万円 | 20% | 200万円 |
| 中規模の事業停止 | 5億円 | 5% | 2,500万円 |
| 重大インシデント | 50億円 | 1% | 5,000万円 |
リスクマトリクスを活用することで、複数のリスクを比較し、優先順位を付けることもできます。縦軸に影響度、横軸に発生可能性を取り、各リスクをプロットすることで、視覚的にリスクの大きさを把握できます。
経営者が取るべきアクション
サプライチェーン攻撃のリスクを認識した上で、経営者として具体的に何をすべきかを整理します。
- リスクの「自分ごと化」:サイバーセキュリティを経営課題として認識し、取締役会のアジェンダに加える
- 責任者の任命と権限付与:CISO(または同等の責任者)を任命し、必要な権限と予算を与える
- リスク評価の実施:自社のセキュリティ状況と、重要取引先のリスクを評価する
- 投資判断の実行:リスク評価に基づき、必要なセキュリティ投資を承認する
- 定期的なモニタリング:KPIを設定し、対策の進捗と効果を定期的に確認する
- 危機管理体制の整備:インシデント発生時の対応計画を策定し、訓練を実施する
- サイバー保険の検討:リスク移転手段として、サイバー保険の加入を検討する
投資判断の詳細については、サプライチェーン攻撃対策の投資判断|予算・優先順位・ROIで解説しています。限られた予算の中で優先順位を付け、効果的な対策を実施するための考え方を紹介しています。
関連する攻撃手法
サプライチェーン攻撃と関連し、経営リスクとなる攻撃手法を紹介します。これらの攻撃は複合的に発生することも多く、包括的な対策が必要です。
- ランサムウェア
- データを暗号化して身代金を要求する攻撃です。サプライチェーンを通じて感染が拡大することも多く、事業停止の直接的な原因となります。詳細はランサムウェアをご覧ください。
- フィッシング詐欺
- 偽のメールやWebサイトで認証情報を窃取する攻撃です。サプライチェーン攻撃の入り口として悪用されることが多い手法です。詳細はフィッシングをご覧ください。
- 標的型攻撃(APT)
- 特定の組織を狙い、長期間にわたって侵入を試みる攻撃です。サプライチェーンを経由した攻撃はAPTの一形態として行われることがあります。詳細は標的型攻撃(APT)をご覧ください。
- ビジネスメール詐欺(BEC)
- 取引先や経営者を装ったメールで金銭をだまし取る攻撃です。サプライチェーン上の取引関係が悪用されます。詳細はビジネスメール詐欺(BEC)をご覧ください。
- 情報漏洩
- 機密情報や個人情報が外部に流出するリスクです。サプライチェーン攻撃を通じて発生することがあり、法的責任や賠償責任が生じます。詳細は情報漏洩をご覧ください。
- マルウェア感染
- 悪意のあるソフトウェアに感染するリスクです。サプライチェーンを通じたマルウェア配布は検知が困難な攻撃手法です。詳細はマルウェア感染をご覧ください。
- 内部不正(インサイダー脅威)
- 従業員や委託先による不正行為です。サプライチェーン上の委託先従業員による不正も、広義のインサイダー脅威に含まれます。詳細は内部不正(インサイダー脅威)をご覧ください。
よくある質問
- Q: サプライチェーン攻撃の被害額はどのくらいですか?
- A: 被害の規模によって大きく異なりますが、国内の事例では数億円から数百億円規模の被害が報告されています。2022年のトヨタ・小島プレス事件では1日の操業停止で数百億円規模の影響とされ、大阪急性期・総合医療センターの事例では調査・復旧費用だけで十数億円以上かかったと報じられています。軽微なインシデントでも、調査・復旧費用として数千万円程度はかかることが一般的です。
- Q: 中小企業でも経営リスクとして捉えるべきですか?
- A: 中小企業こそ、経営リスクとして捉えるべきです。中小企業は大企業に比べてセキュリティ対策が手薄な傾向があり、そこを狙われることが多いためです。また、被害を受けた場合の体力(資金力)が限られているため、インシデントが経営危機に直結するリスクがあります。さらに、取引先からセキュリティ対策を求められるケースも増えており、対策不備は取引停止につながる可能性があります。
- Q: サイバー保険で損失をカバーできますか?
- A: サイバー保険は有効なリスク移転手段ですが、すべての損失をカバーできるわけではありません。一般的に、調査・復旧費用、損害賠償、危機対応費用などはカバーされますが、売上損失の全額補償や、レピュテーション損失の補填は難しいことが多いです。また、保険料は対策状況によって変わり、対策が不十分な場合は保険に入れないか、高額な保険料を求められることもあります。保険はあくまで対策と併用するものと考えてください。
- Q: 株主への説明責任はどこまでありますか?
- A: 上場企業の場合、重大なサイバーインシデントは適時開示の対象となる可能性があります。東京証券取引所の規則では、投資判断に重要な影響を与える事象は開示が求められます。また、株主総会では、セキュリティ対策の状況やインシデントへの対応について質問を受けることもあります。平時から、セキュリティ対策への取り組みを適切に開示し、有事には迅速かつ透明性のある情報開示を行うことが、株主への説明責任を果たすことにつながります。
- Q: 経営者として最低限把握すべき数字は何ですか?
- A: 最低限、以下の数字を把握することをお勧めします。①自社がサイバー攻撃で事業停止した場合の1日あたりの想定損失額、②重要な取引先(特にITシステムが連携している先)の数、③自社のセキュリティ投資額(売上比、IT投資比)、④セキュリティ関連のKPI(パッチ適用率、訓練結果など)の推移。これらの数字を定期的に確認することで、リスクの大きさと対策の進捗を把握できます。
まとめ
サプライチェーン攻撃を経営リスクとして捉えるためのポイントを整理します。
- サプライチェーン攻撃はIT部門の問題ではなく経営課題であり、経営者自らが関与すべきである
- 被害は事業停止、財務損失、レピュテーション低下、法的責任など多面的に及ぶ
- 国内でも数億円から数百億円規模の被害事例が発生している
- リスクを定量化し、投資判断の根拠を明確にすることが重要である
- 経営者は責任者の任命、投資判断、モニタリング、危機管理体制の整備を主導すべきである
- サイバー保険は有効だが、対策と併用することが前提である
次に、サプライチェーン攻撃対策の組織体制について、サプライチェーン攻撃のガバナンス設計|CISO体制と役割分担で詳しく解説しています。
経営者向けの他のトピックは、サプライチェーン攻撃と経営|リスク・ガバナンス・投資判断からご覧いただけます。サプライチェーン攻撃の全体像は、サプライチェーン攻撃とは|仕組み・事例・対策を初心者にもわかりやすく解説で解説しています。
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重要なお知らせ
- 本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の状況に対する助言ではありません。
- 実際にサイバー攻撃の被害に遭われた場合は、警察(#9110)やIPA(03-5978-7509)などの公的機関にご相談ください。
- 法的な対応が必要な場合は、弁護士などの専門家にご相談ください。
- 記載内容は作成時点の情報であり、攻撃手法は日々進化している可能性があります。
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